会社辞めて心理カウンセラーになる

世間的に超安定した仕事をしている独身の男です。昨年、鬱病と診断され、一週間の休暇をとり、即復帰。復帰後も会社からの配慮はなく、死に物狂いで世間のために働きました。そんな経験を通して、本当の意味で人の役に立ちたいと思い、心理カウンセラーとして開業することを目標に開業までの自分の足跡を記していこうというブログです。

やはりアダルトチルドレンには社会生活は難しい②

1週間の研修を終え、教育委員会に放り込まれた。

さて、右も左もわからない社会人ぼっちの俺は、戦々恐々としていた。

あー、みんな知らない人だ…。怖いなー怖いなー。帰りたいなー。

 

そんなことを思いながら適当に自己紹介を済ませ、担当する係に案内された。

俺の配属部署は、学校および教員の支援をする部署で現場と綿密な連携を取らなければならない部署だった。

課長も自治体の職員ではなく、都道府県の職員で出向という形を取っている。他にも現場教員から行政に出向している職員もいる。自治体職員の方が多いが、比率で言えば自治体職員:都道府県職員=7:3といったところか。そんな職場なので、もちろん俺は年齢でも最年少。一番年が近い人も6歳上だった。さらに、教育委員会自治体組織とは別扱いとなるため、すでに自治体組織から若干切り離された部署となっている。

つまり、ぼっちの俺は組織の本流からも切り離されたということだ。

迂闊に「教育普及に関わる仕事をやりたい」なんて書くんじゃなかった…。

あーあ、帰りたい。

 

さて、俺の配属される係はと言えば「指導係」

うん、何を指導すんの?

まあ、色々探る中で中身を言えば、指導主事という出向してきている教員の仕事の中で事務仕事に関わる部分を引き受ける係と言ったところか。

メインは、経理、学校で働く臨時職員の労務管理などなど。

というわけで、学校を指導する係じゃない。基本的にはね。

で、その係の構成員は係長、係員2名(俺を含む)に臨時職員1名ということになっていた。まあ、少ない方らしい。

係長も新しく移動してきた方、つまり構成員の半分は仕事がわからない。

俺以外の係員は小さいお子さんがいて、育児休を取りながら働くママさん、臨時職員の方は年配だが、この部署に10年以上いるベテランさんだった。

俺はと言えば、新社会人で右も左もわからない足手まとい。

しかも、俺以外は女性ばかり…。うわぁ、怖いなぁ…。

 

この係、大丈夫か?

色々不安要素が多いところに配属されちまった…。

ここは、女性のご機嫌を取ることから始めよう。同期になじめないぼっちが、やっていくにはそれしかない。

 

ちなみに仕事に関しては、ママさんが教えてくれるらしい。OJT教育というやつだ。

OJTなんて言えば、聞こえがいいが、結局のところ組織は新人研修をマトモにやらず、現場職員への丸投げだと俺は認識している。

あんな研修受ければね。そう思うよ。

ただ、このママさんはいい人で、とりあえず頼りになりそうだったので助かった。

 

そんなこんなで、とりあえず俺は初めて配属されたこの部署で失敗しつつやっていくことになったんだ。

数年後の自分が、どうなっているかなんて、この時は想像もしなかった。

ホント、今思うと馬鹿な奴だって思うね。

 

 

 

 

やはりアダルトチルドレンには社会生活は難しい①

2013年4月。俺は役人になった。

ホントは、他にも色々やりたいことがあったが、先行き不明の世の中で一人で生きていくには、やっぱ役人になるのがいいのかもしれないと思い、公務員になったわけだ。俺が就職したときは公務員人気、高かったしね。

そういうわけで滅私奉公の精神で働こうという抱負を胸に庁舎に向かう自分がいた。

今思えば、世間知らずのおバカな新社会人だと思う。この時のことを思い出すと思わず吹いてしまう。いやぁ恥ずかしいね。

まあ、当時の俺はホントに純粋でいい奴だったんだよ。うん。

 

そんなこんなで、期待と不安で胸いっぱいの俺ちゃんは、庁舎に向かっていたんだ。

庁舎での集合場所は会議室。ここで一週間、同期との研修が行われるらしい。

民間に行った友人は、3月から研修が始まっていると聞いていたし、一週間で職場にぶち込まれた後のことを考えると非常に不安だったが、郷に入っては郷に従えというありがたーいお言葉で自分をごまかし研修が始まるのを待っていた。

とりあえず、ぼーっと自席で研修が始まるのを待っていたのだが、周りの同期たちは既に既知の友人同士のように談笑していた。

 

え?この人たち、もうこんな仲いいの?

どこでこんなに仲良くなったの?

そういえば、2月に同期全員、顔合わせで集められたとき、飲み会やるとか言ってたな。俺は、修論が忙しくて顔出さなかったんだよな…。

はい、ぼっち確定。

 

と、俺がぼっち確定するまでの過程を推理していると研修が始まった。

とりあえず、この一週間の研修の予定が書かれたレジュメが配られ、それに目を通す。

おい!ほとんどお偉いさんとか先輩職員のありがたーいお話しばっかじゃねえか!

あとは……施設見学?これくらいしか実務に役立ちそうにねえな。

一週間かけてこの内容とか、来週が不安で仕方ないぜ…。社会人一日目で絶望を味わったぜ…。ぼっちの俺にこれ以上追い打ちかけないでくんない?

 

と、俺が一人絶望しているうちに研修は始まった。

案の定、役人の心得などのありがたいお話は催眠術のように眠気を誘い、同期の何人かはすでに夢の中。こいつら税金で給料もらってんのにいい度胸してんな。

こんな連中とこれから働くのかと思うと反吐がでるぜ…。

とか、当時は思ったりもしたが、今思うとこんな研修してる組織がどうかと思うぜ。なんの意味あんの、これ?紙っぺら一枚で済まない?

まあ、研修で寝てる職員とか、皆さん税金払いたくないですよね?会社全体の問題ですね。ごめんなさい。

 

そんな研修が四日ほど続き、1日は施設見学という名の遠足にいった。

ホント内容の無い研修期間だった。ここに書くこともほぼ無いまである。

とにかく一週間、催眠術に耐え、最後に仲良しこよしで遠足に行って一週間終わりました。

何だこれ?改めて文字に起こしたら、ホントにアホくさいな。

 

そんで、最後に待ちに待った配属先が発表されたのだった。

さて、俺の配属先は…

 

教育委員会

 

「な…何…だと?」

 

おいおい!保育士一人以外、同期誰もいないじゃねえか。そもそも保育士は幼稚園に常駐だし、実質教育委員会に配属されんの俺だけじゃん!ぼっちの俺をこれ以上追い込まないでって言ったじゃない!ナニコレ?

まあ、この一週間で同期ともそんなに仲良くなれなかったし、すでに施設見学で博物館行ったときに学芸員の血が騒いじゃった俺のことは同期に変人認定されてるから、同期と一緒だったとしても、ぼっちという現実は変わらないけどさ。

やれやれ。マジでこれから不安だわ…。

 ホント、公務員としてやっていけるのかね。俺は。 

 

アダルトチルドレンと自覚するまで①

こんばんは。りょうです。

今回からカウンセラーを目指そうと思った出来事を書いていこうと思います。

 

2013年4月、僕は就職しました。就職した会社は、世間一般的に超安定した会社…といえば、だいたい検討はつくかと思います。ここでは、あえて公表しません。

一緒に入社した同期は50名ちょっと。そんで、最初に配属されたのは、学校教育に関わる部署でした。

最初の一週間は、同期と一緒に座学の研修。正直、滅茶苦茶つまらないし、実務に役に立たない研修でした(笑)そして、同期ともあまり仲良くなれる人はいませんでした。僕は、ある意味異色の経歴で、院卒で研究をしていたので、あまり話が合う人がいませんでした。院卒は他に一人いましたが、文系ということもあり、やっぱりちょっと違うと感じていました。

それと、僕が一番違うなと思ったのが、みんなとにかく学生乗り…という言い方は良くないかもしれないので言い換えれば、元気!そして若い!…年齢は1個か2個違いがせいぜいで、同い年もいましたが、僕からするとそんな印象を受けたのを覚えています。

そんなこんなで、僕は同期とかみ合わず、配属された部署も同期が一人もおらず、孤立感を覚えて社会人生活が始まったのです。

当時の僕は、大学院で日本でたった一人の研究者になったこともあり、自分に少しだけ自信が持てていたし、人と違うことの方が好きだったので、自分からも敢えて同期と迎合することはありませんでした。ただ、会社に入って一番最初に教わったことが同期を大事にしろとか、人間関係が全てだということでしたので、僕のアイデンティティを補強するものが完全になくなってしまい、自己肯定感がなくなっていきました。

さらにそれに拍車をかけたのが、入社したばかりで右も左もわからず仕事もできないことでした。

まあ、社会人になったのだから当然だし、今の僕なら受け止められると思いますが、当時の僕としてはかなり辛いことでした。

当時の僕は、自分に自信がなく自分のことが大嫌いだったことが、この状況に苦しんだ最大の原因だと思います。はい、典型的なアダルトチルドレンです…。

そんな僕が、この段階で会社を辞めなかったのは、会社で仕事を教えてくれる先輩(会社での師匠)が本当の意味で優しい方だったからです。この人には公私ともに支えてもらいました。この人がいなかったら、まず確実に会社を数か月でやめていたでしょう。

とりあえず、師匠のおかげで仕事も少しづつ覚え、何とか社会人生活一年目を乗り切ったのでした。この時はまだ、自分をアダルトチルドレンだと自覚していませんし、そもそもアダルトチルドレンなんて言葉も知りませんでした。

二年目以降、仕事とプライベートを通して、自分が昔から同じ思考パターンを繰り返し、自分を苦しめていることに気付き始めるのです。

 

では、今回はこの辺で。

 

心理カウンセラーとして修行中です。すでにクライアントもついています。

何かお悩みがある方、アダルトチルドレン、生きづらさを感じている方、こちらのブログにコメントください。お話を伺います!

人生最初の本格的なブログ(とりあえず自己紹介)

初めまして!

心理カウンセラー目指して修行中のりょうと言います。

このブログは、自分が心理カウンセラーを目指していく軌跡を残そうと思って始めました。

とりあえず、勉強したことや日々カウンセラーになるうえで思ったこと、自分の趣味の話もちょいちょい出てくるかと思いますが、そんな感じのことを書いていきたいと思ってます。

 

では、自己紹介。

 

院卒の29歳、東京の西の方に住む独身の男です。学生時代は、化石研究者でした。一応、恐竜時代(中生代)が専門で学芸員資格持ってます。小さいころの夢は恐竜学者。まあ、色々ありまして、恐竜ではなく別の生き物を研究しました。これでも僕の研究テーマは日本で僕が唯一の研究者なんです。

あと学会発表も経験しました。そこでホントに色んな研究者の方々にお世話になり、今でもお付き合いさせていただいている方もいます。東大の先生とか、海外の研究者さんとかね。

博物館めぐりが好きで毎年開催される恐竜展には、もちろん行きます(笑)僕と博物館行くと音声ガイドいりません。便利ですよ(笑)恐竜の時代が専門なんで、もちろん恐竜の解説もできます。

そんな感じで、研究には命かけてました。卒業後も論文を研究誌に投稿するのが目標で研究続けてます。自分のライフワークを持てたのは何よりの幸せ。論文を世に出して自分の生きた証を残そうと思ってます。

卒業してからは、世間一般的に超安定した仕事につきました。僕が就活しているときは、リーマンショックの少し後で、めちゃくちゃ大変な時でした。そんな時に今の会社に就職できたのは、たぶんラッキーなことなのでしょう。

現在、入社6年目。今年度、初めての異動を経験し転職も考えつつ現職を続けています。

では、なぜ心理カウンセラーになろうと思ったのか…。

それは昨年、鬱病と診断され会社を体調不良で休むことになったからです。

なんで体を壊したかは今後のブログで綴っていきたいと思います。

正直、今の会社には色んな抱負を持って就職したのですが、仕事を続けていくうちに色々なことで心労が溜まっていき、ついに昨年、心と体を壊し、有休を使って一週間の休職をしました。これが、自分の人生を考える大きなきっかけとなりました。まあ、他にも色々あるんですが…。

 

実際、会社に就職するまでにも生きづらさみたいなものは感じていて、こんな状態では今の会社を続けていくことはできないと思っていました。そんな中、会社の人間関係がきっかけで、自分がアダルトチルドレンだと認識し、カウンセリングを受けることにしたんです。それは鬱病と診断される半年くらい前です。その時は、体の不調はなく、仕事は普通にしていました。

それから仕事までもがオーバーワークと言えるほど増加し、たった一人で多くの仕事をこなさなくてはいけなくなり、休職を余儀なくされたというわけです。カウンセリングを受けていなかったら、休職では済まなかったと思います。

そのカウンセリングでお世話になった先生が、僕の人生に大きな影響を与えました。

先生との出会いが、僕を心理カウンセラーになりたいと思わせたのです。

詳細については、今後のブログで書いていこうと思います。

カウンセリングが終わった後、僕はその先生のカウンセリングルームに弟子入りしていました。目下カウンセラーとしての修行中です。実際、すでに知人のクライアントがついています。

もし、カウンセリングを希望される方がいらっしゃいましたら、このブログにコメントください。都内や近県であれば出向きます。

なんか支離滅裂な文章になってしまいましたが、今回はこの辺で。

では、また。